木ままなひと時

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zoom RSS 手話教室にて

<<   作成日時 : 2007/02/04 01:10   >>

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昨日、週に1回通っている手話教室で、講習会がありました。

講師は、東京の高山Tさん(承諾を得ていないので苗字だけってことで・・・)で、テーマは『コーダーから見た聾文化と聴文化』

コーダーとは、チャイルド オブ デフ アダルツのことで、「デフ=聾者」の親を持つ子供のことだそうです。
チャイルド オブ デフ アダルツの頭文字をとりCODAと言うのだそうですが、初めて耳にする言葉でした。

高山さん自身、両親が聾者であり、聴者の兄弟がいる「コーダー」だそうです。
私のイメージでは、聾者の中で育ったのだから、小さな頃から手話は上手に出来るのだろうと思っていたのですが、高山さんは30歳近くになるまで手話は出来なかったそうです。

???では、どうやって両親とコミュニケーションをとっていたのか???

そんな疑問が浮かびましたが、手話が使えなくても大きな問題は無かった。というのが、当の本人の感想でした...
それどころか、両親はあえて「あなたは聴者の世界で生きなさい。こちらのことは気にせず、通訳もしなくていい。」と、手話を教えることも無く、高山さんが20歳になったときには家を出されたそうです。

全てのコーダーが同じように育ったかと言えば、決してそうではなく、コーダーの生きた一例として話をしてくれたのですが、実は高山さん、この後「スゴイこと」をしたんです。
( 「スゴイこと」といっても、『"あって当たり前"なのに"無かった"こと』を定着させただけなので、それまで無かったことのほうが、ある意味スゴイのかもですが・・・ )

・・・そんなこんなで、独り立ちし、社会に出た先が携帯電話会社のJ○○ン(今のソ○○バンク)だそうで、渋谷に勤務することになった高山さん。
30歳近くになり、改めて「母親ともっときちんと話がしたい」と思い立ち、手話を始めたそうです。
そんな強い想いもあってか、あっという間に手話を習得し、短期間で手話通訳士になってしまったとか。(スゴイ!)

その頃勤め先で取り組んだのが、携帯電話会社の受付窓口での手話対応だったそうです。
なんと、携帯電話会社の窓口で手話を取り入れ始めたのはこの高山さんで、この取り組みは、渋谷のJフォ○を基点に全国へと広まったとか。(・・・と聞きました)
今は会社を辞め、手話を教える講師をしているそうです。

親には「こっちの世界に戻ってきちゃったのか・・・」と言われたそうですが、今は天職だと思っているといっていました。

何でも物事を初めて行うときには、何かと大変だと思いますが、軌道に乗せ、やり続けることはもっと大変だと思います。
私も負けずに頑張らねば!

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